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『ゲゲゲの女房』最終章

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 ゲゲゲもクライマックス。”女房”のあり方を問うエピソードになっている。

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 親の整えた見合いで結婚をした女房が3人集まって、それぞれの幸せを見直している。3人とも(まあ、ドラマだし)幸せである。でもフミエの姉妹だって父親の専横ぶりに反発して、家出だの何だの大騒ぎをやらかしていた。フミエだけが従順に親の言うとおり、会った事もない人と結婚して苦労したわけである。時代だからというわけじゃない。
 
 結婚相手も父親に輪をかけた専制君主。言葉が足らず、口を出すな、黙って言うとおりにしろ、というタイプ。フミエは健気に貧乏に耐え、ご主人さまに沿って生きる夫唱婦随の結婚生活を送ってきた。それでも次第に貧乏を抜け出し、子宝に恵まれ(まあ、ドラマだし)幸せな人生だ、という調子でずっと生きてきた。

 そういうフミエの生き方を要所要所で問われることになる。深澤さんの美人秘書とか、妹のイズミちゃんとか。今回は娘の藍子ちゃん。

 父親やダンナのやることに意義を唱えず、人生に挑戦したい女性をたしなめるフミエ。イズミちゃんや藍子ちゃんにしたら裏切り者である。観ているこっちも”何で娘の味方をしてやらないんだ”とイライラする。
 今回はフミエの両親がそろって、娘たちがフミエの人格形成の一端を納得する展開になっている。フミエの母親はダンナの言うことに従っているようで、言うべきことはちゃんと言っている。
 娘たちは”似ているけど、お母ちゃんは必要なことを言ってない”と避難するかと思いきや、フミエの生き方を理解してフミエの裏切りを許す。理不尽に見える父親にもちゃんと愛情があって、ただ伝え方が下手なだけだと理解して、周囲に翻訳する女房たち。

 そういう”女房”のあり方は、見ているいろんな世代に男女問わず共感されるだろう。家庭で居場所がなかったり、子供に口を聞いてもらえなかったり、妻に粗大ゴミ扱い扱いされているお父さんだと、”こんな女房が欲しかった”と夢想できる。お母さん方には”そうそう、こういう風にダンナを立てて、耐えて来たのよ”とうなずかれることだろう。”親はわかってくれない”とくすぶる子供世代は、”そうかこの迷惑さも親の愛なのかも”とちょっと納得する。このドラマは丁寧な脚本と演出で、家族のそれぞれのメンバーの気持ちを順番に光を当てて、それぞれに共感できるように作ってある。
 今の時代、”女房”という言葉自体、演歌か大衆演劇でしか聞かない、ほとんど死語だ。そんな”女房”の人生、この人気ドラマはどういうところに着地するのか楽しみだ。それにしても”女房”に対比して、”ダンナ”とか”ご主人”とかいう呼称って理不尽だと思う。このドラマでは”お父ちゃん”、”しげーさん”と呼ばれているけども。

 どうやら最後の週のクライマックスは、フミエの父、源兵衛のお葬式らしい。フミエの結婚前はかなり長い時間、いかにこの家族思いなんだが突っ走る傾向のある父親との心の交流にウェイトが置かれていた。今は一家の長としてのシゲルの在り方、その支え方がストーリーの中心にある。

 ゲゲゲの女房は、実はゲゲゲの”娘たち”なのかもしれない。

 オニババ化、草食系男子、晩婚化、少子化。いろいろ化けている現代に、このドラマがこれだけ受け入れられたことの意味も、ちょっと見直してみようと思う。でも自分はどっちかというと深澤さんの秘書タイプなので、フミエさんにはなれないなー。

 




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〔テーマ:ひとりごとのようなものジャンル:日記

 
最終回
少女マンガ風味でまとめたようです。
フミエが子供の頃助けてくれた少年がシゲルだったという……ほとんど”お嬢ちゃん、笑った顔の方が可愛いよ”の丘の上の王子様。
フミエが反乱起こして独立したりせず、女房としての人生を続ける。
今の時代にあってはファンタジーのようです。









        
 
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