categoryブルー・サブマリン(そーうつ日記)

3匹めの猫

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うちには1年余りだけだが、3匹猫がいた。

警戒心むき出しでふうっとうなってタンスの下から出て来なかった仔猫が、やっとでなついてくれたので可愛くてたまらなかった。
元からいた年寄り猫2匹も、さんざんこの3匹めの猫を甘やかした。
年寄り猫2匹が雄で、仔猫が雌だったせいもあるだろう。ケンカもせずにいつも3匹でくっついて仲が良かった。


私の不注意で仔猫が死んでしまったとき、どれだけ泣いたか知らない。

そして私は、その仔猫が死んだことを半年余り、母親に言わなかった。
電話で聞かれたから初めて言ったわけだが、もともと気持ちが多少落ち着くまで言うつもりはなかった。

母親に”だから言ったでしょう”と勝ち誇られるのが耐えられなくて。

週末ごとの電話で、当たり障りのない話をして、ついでに母の健康を気遣って父に対するいつもの愚痴を聞きながら、つらいことを打ち明けられない自分を憐れんでいた。
そしてつらいことを受け止めてくれないだろう母親を、ずっと恨んでいた。

実際には、母は”だから言ったでしょう”だなんて言わなかったんだけども。
私の中で、母はすっかりモンスターになってしまっているのだ。

どうしてそんなに私だけ、母の中で疎ましい存在になってしまったのか理解できなかった。
母は別にそういうつもりはなかっただろう。

お稽古ごとにつきそってくれたし、服を手作りしてくれたし、具合が悪いときは病院につきそってくれた。

でもどういうわけか、私は自分がみそっこだと感じていた。
具体的に何があったわけじゃない。
ただ呪詛のような母の愚痴をぶつけられて、時々かんしゃくが降ってくることをのぞいては。

そして、私が父に似ているとくり返されることをのぞいては。

何か原因があるとしたら、私が女であること、そして外見が多少父似で、私が5歳かそこいらまで父に猫可愛がりされたこと。


母が言うほど、父がひどい親だとは思えなかった。
別に酒を飲むでもなし、タバコもこんな嫌煙かまびすしくなる前にやめたし、浮気するでもない。
家事について口やかましいでもない。
昭和ヒトケタの男性にしては、マメに料理を手伝う方でもないがレパートリー多いし、第一母よりその料理が美味しいのだ。

兄弟の話によくつきあってくれて、中国の古代史だの宇宙の果てがどうなってるかだの、何時間でも一緒に議論してくれた。
週末ごとに、海だの山だのドライブに連れていってくれた。
それは子供らと母親が植物や生き物全般が好きだったからで、本人はたいしてイキモノ好きではないのに。

母や子供らが出かけると、何時だろうとどこだろうと迎えに来てくれた。

まあ、単にやたらに車の運転が好きというのはあるだろうが、このマメさは大したものだ。
自分が2年ばかし結婚してみて、いかに父がマメに送り迎えしてくれてたか、自然に荷物を持ったり駅や空港でフォローしてくれてたか身にしみた。

これは子供らに限らず、母にも十分発揮されている。
子供が全部家を出て2人だけになっても、父は毎週のように母をドライブや旅行に連れ出している。
新聞やローカルニュースで、どこかの花が咲いたとか何かのイベントがあると聞くや、すぐに出かけて行く。

それでも母は父に対して愚痴が止まらない。
ノロケか照れ隠しなのかと思ったこともある。まあ、そういう部分もあるかもしれない。でもそれけでは説明できない。
誰かに”いいダンナ様ですね”と言われると烈火のごとく怒るのだ。そして”いいダンナ様だと誉められたくて”これ見よがしにサービスしているんだと、父を批難する。

どうやら母の中にはずっと怒りがくすぶっていて、それを父にぶつけることができなくて、代わりに私にぶつけているようなのだ。

それが何なのかわかったのが、つい数ヵ月前のこと。


うちには実は子供が4人いた。

私以外は全部男の子。兄は今も健在だが、その下の兄は生まれつき心臓に欠陥があって1歳になった日に亡くなった。私の弟は気付いた時には末期ガンで、手の施しようもないままみるみる痩せて半年で亡くなった。

母の父批判は何時間も同じことを繰り返した後、最後にはいつも、父がその亡くなった兄と弟に対して愛情が足りなかった、というところにたどりつく。
子供を失った悲しみが強すぎて、何かを恨まないとやっていけなくて、それを父にぶつけているんだろうと理解していた。それがどうして私にまでとばっちりくるのかわからなかったけど。

15歳になる頃には、私は”兄の代わりに自分が死ねばよかった”と思っていた。
生まれてきたことに罪悪感を感じているので、学校でイジメられようと、家で母に八つ当たりされようと怒りなんか湧いてこない。踏みつけられて当然だとしか思わない。




数ヵ月前、いつものように延々と、身体の弱かった2人の兄と弟を育てるのにいかに苦労したか、その時父がいかに非協力的だったか、という不満を聞いた末のこと。

”お父さんはあの子のこと、一度も抱っこしたことなかった。あんたのことは手離さないでみんなに自慢したくせに”

ああ、そういうことだったのか。
私はやっと得心がいった。

母は私を可愛がると、亡くなった2番めの兄や未熟児で生まれて小児ぜんそくで苦しんだ弟が不憫な気がして、だから私を突き放していたのだ。



うちにはもともと猫が1匹だけいて、3年置いて2匹め、さらに6年おいて3匹めの猫が増えた。
猫が増える度に、母は新参の猫を嫌って捨てて来い、お兄ちゃん猫が可哀想と言った。

下の子が生まれたときに、上の子が嫉妬したりスネたりするという話はよく知っていたから、そういう母親らしいフォローなのだと思っていたけど、それにしてはちょっと激しいえこひいきぶり。
ことあるごとに新参猫をくさして、蹴飛ばしたりした後に、最長老の猫をまさに猫かわいがりする。

別にそんなことしても、長老猫が喜ぶわけではないと思うんだが。
だって何より、若い2匹を可愛がってケアしてたのは長老猫なんだから。



確かに父は子供のようなところがあって、一緒に遊ぶのは楽しいけれど、親として子供をケアするのは面倒がる部分があったかもしれない。でも父親ってそんなものじゃないのか?
通院の手伝いはよくしてたし、付き添いで女ほど気が回らなかったり病室でいたたまれなくてソワソワするぐらい、どんな父親でもよくあること。特に父が冷たい人間だってことにならない。

たった一人生まれた女の子にはしゃいで見せびらかして、”この子は俺似だろう”と自慢したって、それはありがちなことじゃないか。
そしてそれは、その女の子のせいじゃないだろう。

でも母の中では、2番めの兄が死んだのも、弟が死んだのも、どうやら私と父のせいになっているらしいのだ。


2番めの兄は私が生まれる数年前には亡くなっていた。
お仏壇の赤ちゃんの写真を見つけて、私はよく話しかけていたらしい。

おいで。一緒に遊んであげる。

母は私が幽霊が見えると思っていたらしい。まあ、実際子供の頃はいろいろ見たんだけど、それはまた別の話。


本当にその兄をいつも見ていたわけじゃないと思う。
物心つく前の3歳か4歳の頃の話なので、私は覚えていない。

でも今にして思えば、私は母の悲しみを感じとって、母を慰めるために赤ちゃんの写真に話しかけていたんだと思う。



結局のところ、そんな3歳児の気遣いなど母には何の意味もなかった。
母にとって、私はずっと3匹めの猫だったのだ。









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〔テーマ:ひとりごとのようなものジャンル:日記

 









        
 
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