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category墓守り娘日誌

母とスリッパ

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 先にも書いたが、子供は与えられたものがすべてで疑問を持たない。自分の親を客観的に評価するのは自我が芽生えてからのことだ。いわゆる中二でなく、私は実際に中二で世界の見え方が変わってしまった。イジメがきっかけかなと思っていたが、考えてみると6歳ですでにイジメられていた。法事で生まれて初めて飛行機に乗って、雲の海の上に出たのがきっかけのような気がする。周囲に誰もいない場所で空を見上げて、意識を集中させて、”飛ぶ”練習をしたものだ。それはともかく、それまでも母が苦手だったが14歳でどうやら母は自分の味方じゃないらしいと気がついた。その認識は今も変わっていない。親に不満を持つのはそれだけ依存していて期待を持ち過ぎるから。つまり甘えているのである。でもま、親は一生親なのでしょうがない。
 で、母を自分の家に呼んで同居生活を始めて、初めて気づいたことがいろいろある。そういえば、うちは極端にお客が少ない家だった。子供の頃、公団の団地に住んでいて近所に同年代の子供がぼろぼろいた。主に男の子とばかり外でごろごろ遊んでいた。魚を採ったりクワガタ採ったりドングリ拾ったり秘密基地作ったり。友達の家に上がり込んで本を読んだりレコードを聞かせてもらったり。でも我が家に友達が来たことがほとんどない。玄関まで呼びに来ても、上がってもらったことは記憶にある限り子供時代に一度も無かった。高校生になって自分の部屋に友人を招き入れるようになって初めて、人を呼べるようになった。トイレを貸すことはあっても、居間や台所に人を入れたことがない。そこは母のテリトリーだったからだ。
 実家にいる間、3回引っ越したがどこの家でもそうだった。実家にはまったく出番のないティーセットと来客用の湯呑、茶托、そして玄関に仕舞われたまま新品のスリッパが10人分あった。居間に来客を入れるだけで大ごとなので、誰かを泊めるとなると一大事である。実家を出た後、知り合いになった人々が実にカジュアルに自宅に招いてくれて、ご飯をご馳走になったり泊まって行けと言われたりするので驚いたものだ。
 父が亡くなって母が私の家に住むようになってもうすぐ5年になる。私は割と気楽にお客を呼ぶ方なのだが、母は当初お客を嫌っていた。客が来ると外出したり、泊り客がある時は自分も旅行に行ったりしていた。今ではもはやひとりで旅行どころか外出もままならない。そしてどうやらあきらめたらしい。
 私の友人の他にも消防点検の人や、ケアマネージャーさんなど、けっこう来客が多い。その度にスリッパが足りない、茶托付きの湯呑がない、と大騒ぎする。マンションなのでフローリングの廊下を2メートルばかり歩けばカーペットを敷いた居間になる。カーペットに上がるところでスリッパを脱ぐ。2メートルのためにどうしてスリッパが要るのかを思うが、仕方ない。母なりの”おもてなし”がスリッパとお湯呑みなのである。

 

(つづく)
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〔テーマ:ひとりごとのようなものジャンル:日記

 









        
 
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