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形見で押入れが埋まっている話

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 最近身近で実家を片付けて古い着物が出て来た話、よく聞く。歴史のある城下町なので、たぶんホントによくある話。譲る人があればいいけど、フリマで100円だったり、リサイクル着物屋で買い取りにならなければ全部廃棄になる。もったいない。というわけで、ここ数年フリマ巡りが趣味だ。

 叔母の遺品が10年以上放置された末に私のところに回って来て、当時まったく着物に興味なかったので私のうちでも10年近く仕舞い込んでた。その間防虫剤乾燥剤も変えず虫干しもせず無事だったのは、一重に生前の叔母の手入れの賜物だ。三回しか会ったことのない叔母だけど、仕立ててから病気が重くなってしつけも取っていない着物がいくつも出て来た。供養と思って着てみたらハマった。それで母がへそくりで仕立てて一度も袖を通さないままカビと樟脳で染みつけてしまった訪問着も、染め直してみた。さらに叔父の店で紅型の生地に一目惚れして人生初めて仕立てというのを頼んだ。センスのいい叔父が帯紐から草履まで全部見立ててくれて、ちょうど着る機会も何度かあってさらにハマった。

 今は晴れ着じゃなくて普段着の着物が欲しくて、フリマを時々巡っている。普段着とはいえ、もちろん通勤に使えるわけじゃない。自分で稼ぐようになって、通勤と結婚式以外に服買ったことなかったから新鮮だ。着物着たくて街歩き。城下町で良かった。着物の人、けっこう多い。

 つい最近また知人から、お母さまが90過ぎで亡くなる前に気に入ってよく着てたという着物を一抱え、いただいてしまった。90の人の着物でも組み合わせ次第で何歳でも着られるのが和服のいいところ。いただいた次の日にちょうど送別会があったので着て行った。くださった方も喜んでくれた。

 いつか自分が死んだら。この年になると老後が鮮やかに目に浮かぶし、身近に同世代の故人もいる。事故だっていつでも起こり得る。そしたらその途端に、これ全部、ゴミになっちゃうんだよなあ、と部屋を見渡して大量の本と小物と服に嘆息。生きてる間に十分大事にすればいいんだと思う。でもなあ。

 どんなに身近な存在でも、その人と同じ重さで同じ価値で引き継がれることなんてほとんどない。ストラディバリウスだとか人間国宝の作った友禅だとかだって、故人の愛着は引き継がれない。父の遺した大量の蔵書も、ほとんど手付かずだ。高価な専門書だけは関係者に引き取ってもらった。私は明らかに一度も開いてない、書店カバーに輪ゴムかけたままの新書数冊をもらって来た。結局我が家の積ん読の山に埋もれている。兄は父を嫌っていたから、数年後兄が実家に住む時に一切合切業者に処分してもらうことになるだろう。私のものも、いずれそうなる。その未来が、この年になると射程距離。

 まあ今さら、丁寧な暮らし、とか無理だけど、せいぜい生きてる間に大事にしようとは思う。着物はできるだけ着て活用しよう。死んだら姪たちに山分けしてもらおう。洋服はぐちゃぐちゃだが、和服だけは虫干ししてマメに乾燥剤換えている。限定的丁寧な暮らし。うん、でも部屋も片付けようよ。そちらは発掘作業だ。自分でも持ってることを忘れていたものが次々見つかる。自分で買ったのだからもちろん自分の好みドンピシャだ。でも埋もれさせて忘れている。生活が雑になっている。いかんいかん。

 フリマで段ボールに積まれて、300円の値札が100円で叩き売られた一重の着物にも当然一枚一枚、これまで着た人の物語があったはずなんだよなあ、としみじみはする。するけど残留思念とか読めなくて良かった。つくも神とか見えなくて良かった。ドロドロ話は直に聞かされてる分でお腹一杯。

 自分もせいぜい念を残さずさっさと消えよう。迷惑かけないよう、できるだけ悔い残さないように日々暮らして行こう。と思ってはいる。

 

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