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九州の女は九州の少女漫画の夢を見るか

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ここんとこ、twitterで『九州の男尊女卑』と『九州で女性として生きること』というタグであれこれ書いていて、ふと思いついて九州の女性漫画家の作品について、思いつくままにつぶやいてみた。かなり長いスレッドになったので、ここに転載する。思いつくままなもので、行き当たりばったりだしつじつまが合っていない部分もある。いずれ、もう少し整理して書き直そうと思う。


 九州出身の漫画家さん。ヒロインが美人で優秀なのにいつも自己評価低くて不倫に逃げるパターンが西炯子。理不尽な男に散々振り回された挙げ句解決策も男任せの東村アキコ。このお二人のどちらも、何か"九州"の歪みに支配されてる気がする。そういう目で、自分の本棚の漫画を読み直してみようと思う。

 

 そういえば私の一番大好きな漫画家さん、萩尾望都さんも九州でした。そういう視点で分析したことなかったな。クリエイターの作品の中で出身地や家族状況などが透けて見えるのは、ごく一部かもしれない。しかし一生その影響から自由になれない部分でもあるだろう。萩尾さんの母娘問題に焦点を当てたインタビューやエッセイは読んだけど、九州の影響はどうだろう。

 『ローマへの道』の主人公とその両親。イタリア人という設定だが、親分肌で頼りがいがあるのに逆境に弱くて妻子に手を上げる父親が出て来る。両親と別れて育った青年も恋人が仮死状態になるほどの暴行を加えてしまう。主人公の母親は息子を守るために反撃して、結果として殺人犯になってしまい、自分の犯行を知らせたくなくて息子の前から消えてしまう。主人公はその事情を知って、母親を受け入れる。その話を聞いて、恋人も自分に暴力をふるった主人公を許す。暴力男を許す女性。ここに何か、九州の女性の業を感じてしまう。

 メッシュに出て来る姉妹の姉の方。あれはすごーく"九州の女"という感じがする。美人で男の子に人気の姉。母親も姉ばかり誉める。主人公のメッシュは妹の方と知り合うのだが、姉が妹に言うセリフがコワイ。「人に何を言われても聞き流してしまえばいい。ニコニコしていれば好かれるものだわ」妹が私は聞き流せないというと「だからダメなのよ。あんたどこかおかしいんじゃない」と言い放つ。九州に適応した女と適応できない女の対比という気がする。結果的に姉の方はニコニコふんわり受け流しながら、本人が知らないうちに妹をレイプしたチンピラを殺してしまう、という展開が凄まじい。

 

 "残酷な神が支配する"のグレッグ。数ある萩尾作品の中でも屈指の"加害者"。主人公の他にも被害者が数々いるのに、由緒ある一族の家長として尊敬を集めていて、悪行が決して表沙汰にならない。被害者がいかにトラウマを克服するか、と同時になぜ加害者がモラハラするに至ったかと分析するのもテーマ。

 そういえば『トーマの心臓』も暴力の被害者がトラウマを克服する話。どちらも主題は"赦し"なんだと思う。トーマの方は暴力の加害者を許す、というとこまでは踏み込んでないけど、残酷の方は"グレッグを赦そう"という部分がハイライト。

 横暴な父親像は作者が九州出身だからだ、なんてことはさすがに偏見の域だしそんな雑な考察、意味がない。でもグレッグに長年性的虐待を受けていたナターシャの人物造形は、ものすごーく九州の女性という感じ。身体の弱い甥を父親の虐待から守るために身代わりになり続け、甥の他にも被害者がたくさんいることを知っていて、甥可愛さに告発しない。結果的に他の被害者を見捨てて、虐待に間接的に加担することになってしまう。

 被害者が加害者にも何か事情があるに違いない。赦そう。受け入れて生きて行こう、と考える。これはハラスメントから逃げられない場合の適応だ。ストックホルム症候群という病理なのだ。

『完全でない親を許すことでありのままの自分自身を許容できるようになった』というテーマは、よしながふみの"愛すべき女たち"にも出て来た。親の呪縛から解放されること。自分が子供や次世代に呪縛をかけないこと。自分らしく生きるために自分にかけられた親の呪縛を認識し、親を許し、自分を認めるのは大事なことだ。でも育った社会の歪みを内在化させた親を許してしまうと、時には自分もその歪みを許容して次世代に引き継いでしまうことになる。

 メッシュの場合は、精神疾患のある母のことを理解できないままながらも受け入れる。一方、母の病気を知ったことで殺したいほど憎んでいた横暴な父に対する見方が変わる、というところでストーリーが終わる。あのエンディングは鮮やかだったなあ。ほとんどセリフがないのに、あれほどメッシュの解放を描く方法があろうか。母の住む街からミロンとパリに戻ったら、駅でカティが待っていて、ひょんなことでそのまま3人でパリを発つことになる。ところが駅で父親を見かけて、思わず追いかける。何か声をかけたい。でも何を言っていいかわからない。お互い見つめ合ううちに父の乗った列車が動き出し、別のホームでは精神的な父母的役割をしてくれたミロン、カティの乗った列車も出発してしまう。眩しい朝の駅でメッシュは生まれたばかりの赤ん坊のように立ち尽くす。メッシュがこれからどんな人と出会ってどんな風に生きていくのだろう。

 

 こうやって分析して見ると、私は“九州の男尊女卑”問題を親子関係の歪みとしてとらえているらしい。親との付き合い方は普遍的な問題で、もちろん九州は関係ない。ただ萩尾先生が九州出身で、読んでる私も九州出身なものだから、何か読み解くヒントがないか、要らんことを考える。

 

 おわっ。調べてみたら、福岡県大牟田市出身の漫画家さん、萩尾先生の他にも鴨川つばめと古賀新一。マカロニほうれん荘とエコエコアザラクかあー。他にもたくさん輩出。共通点とか分析するの馬鹿馬鹿しくなって来たなあ。


 とりあえず最初に上げたお二人に話を戻そう。

 西炯子さんの『姉の結婚』。ヒロインの両親がもう、ザ・九州の父と母。言葉少なで妻に手を上げ娘の進路を問答無用で決めて、逆らうなら出て行けという父。母は逆らわずこっそり娘を助ける。『お父さん、うちのチビがいなくなりました』もほぼ同じ父親造形。いろんなエピソードを経て、不器用だけどお父さんの愛情を再確認、というストーリー展開になるのだが、九州男児にトラウマのある人は閲覧注意。フラッシュバックを起こすかもしれない。西作品に出て来る妻や娘は、そのまんま #九州の男尊女卑 とか #九州で女性として生きること とかのタグで九州男児をかばっている女性たちだ。

 『姉の結婚』のヒロインは、長年抱えていた気持ちを父に打ち明ける。結婚に希望を持てないのも、自分を肯定できないのも、父親の愛情を信じられなかったから。ヒロインが自分を取り戻す過程で、イケメンの恋人よりも、この寡黙な父との和解の方が重要なぐらいだ。父との会話を経て初めて、ヒロインは恋愛を前向きに考えられるようになる。『姉の結婚』でも『男女の一生』でもヒロインは美人でスタイルもよくて、才能を活かす仕事に就いている。どちらでも、またザ・九州男児なオッサン達が出て来てヒロインを陥れるが、しなやかにやり過ごして『男尊女卑だー』などと反論しない。妨害や挫折で職を失っても、しなやかにしたたかにちゃんと自己実現できる居場所を見つけ、愛もGET してハッピーエンド。男女差別はテーマと関係なくて、通奏低音というか背景というか。かーなり酷い目に遭っているのに、ヒロインは男女差別そのものには腹を立てないし、変えようなどと思わない。

 東村アキコさんの場合は、うーん、作者さんが露出度高くて美人でリアルに充実してらっしゃいそうで、なかなか公平に見るのが難しい。『逃げ恥』で解放した女性の呪いを、『タラレバ』でさらに念入りにかけ直した責任はとって欲しい、という恨みの気持ちがあって斜めに読んでしまう。いくつかのエッセイ以外ほぼ全作品を網羅したわけだが、コメディとしては面白い。面白いが、辛い。女芸人が自虐ネタで視聴者女性の心をズタズタにしている感じだ。頭を押さえられ選択肢を奪われ、どこを目指すべきかいかに生きるべきか悩む女子にとって、東村さんは味方ではないのだと思う。健気に耐えて王子様に選ばれた女子だけは幸せになれる。ヒモの企画を見るに僕(しもべ)の男性を見つければそれも幸せなのか? 女がひとり自分の力で幸せになる未来は、東村作品からは思い描けない。九州女性にとって女が自力で勝ち取る幸せは"成功"ではないのかもしれない。


 うむむ。清水玲子さんも九州であった。うむむ。あの方の酷薄なぐらいの容赦ない華麗な作品世界に無骨な九州成分が見出だせるか? 思い付くところでセクスレスのエレナ。性未分化の人魚たち。性別不明年齢不詳の美形たち。イカツイのに美しいものを身を滅ぼしても慈しむオッサン達。無慈悲で高慢な美女。はかなげで無垢に見えた乙女が、可憐に微笑みながら百戦錬磨のエリートを手玉に取る。

 とにかく既存の性的役割、ジェンダー観を次々ぶっ壊す実験をしているとしか思えない痛快さがある。いいぞもっとやれ。東村アキコで打ちのめされたら清水玲子で蹴散らすんだ。少女漫画サイコー。

 『月の子』の三つ子の化けっぷりは、変身願望強い少女漫画世界でも一二を争う美しさだと思う。あれほどに変われるなら、シャケにでもセミにでもなってやろうものだ。あまりに美しく才能があり、あるいは高貴な生まれの人々が活躍するので、とても自分を投影できないおこがましくて、例えば"晶(あきら)になったつもりで"物語に酔うのは難しいかもしれない。それでも清水玲子のヒロインたちは(敢えて男性キャラクターもヒロインと呼ぶ)私たちの代わりに、ガチガチ八方塞がりな天井や壁をぶち壊して、女は台所とか女は大学行くなとか女は三歩下がってとか押し付けるケチな世界から私たちを解放してくれる。清水玲子さんが九州で閉塞感じてあんな世界を昇華したのかどうかなんて、ご本人にも確かめようがないけれど。お盆に義実家の台所で立ちっ放し、残り物しか食べれず親戚に好き勝手言われ、私の人生なんなんだと思ったそこのあなた。清水玲子は特効薬です。



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