category横笛奇譚

『コウホネの水影に』

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伝奇もの風の短編。

仕事で地方都市にやってきた主人公は、不思議な体験をする。
 現実感のない街をさまよううちに、その土地の気候、信仰、祭りを通して、次第に魅せられてゆく。すべては澄んだ篠笛の音を通して、山への思いに収束していくのだ。


 ===== # ===== # ===== # ===== # ===== # =====

 その喫茶店はちょっと変わった店だった。どこがどうと言えない。入り口のドアを開けるとカロン、カロンとベルが鳴る。ドアを入ってすぐに2階に続く階段があって、その1段めのちょっと広くなった踊り場から3段降りると、カウンターのある1階の空間に入るのだ。入り口付近の1階の半分は吹き抜けになっていて、ひょいと首を伸ばせば、トンガリ屋根の天井と2階席のしきり板が見える。

 その時、客は俺ひとりだった。平日の午後とはいえ、この小さな地方都市で過ごした3日間、昼食やコーヒーのために入った店に、他に客がいた試しがない。では夕方から賑わうのかと思いきや、ほとんどの商店は7時に閉まるのである。9時以降に開いているのは酒を出す店のみ。それも、さして繁盛していると思えない。大都市ばかりで暮らしてきた俺には、あきれるというより、感慨深いものさえあった。人間はこんな風にしても生きていけるものなのだ。フランチャイズのファミリー・レストランも、海外のブランド・ショップが並ぶ百貨店などなくても。

 店に入った時、俺はちょっと参っていた。この東北の小さな町に着いた日には、肌寒くてセーターを持ってこなかったことを後悔したほどだったのに、翌日から急に気温が10度以上上がったのだ。ただ暑いだけではない。湿気のないカラカラと乾いた熱風が吹いて、体力を奪う。空が緑がかって見える。頭痛が止まず、口の中が粘ついて痛かった。
 30絡みの細身の男がカウンターからひょいと顔を上げた。何だか怪訝な顔をしている。
「開いてるのかい。何か飲みたいんだが」
 男は、まだちょっとためらう風だったが、急ににやりとした。
「どうぞ。いらっしゃいませ」
 俺は身体を投げ出すように、どさっとカウンターに座った。ひんやりした店内の空気が有難かった。
「何か冷たいもの、あるかい。この暑さが堪えてね」
「ああ、いいものがありますよ。ちょっとお待ちください」
 男は肩にかかるまっすぐな黒髪を後ろでくくっていた。ちょっと中性的な物腰だ。冷たいおしぼりを出してくれたので、それだけで俺は生き返ったような気持ちがした。
「どうぞ」
 男がことんとカウンターに置いたのは、青磁の茶碗に入った緑茶だった。
「え、俺は冷たいものって頼んだんだよ?」
「ええ。でも、そんな暑さに中ったようなときには、いくら冷たいものを飲んでもだめです。だまされたと思って、召し上がってください」
 まったくだまされたような心持がした。その緑茶を飲むと、身体中に薫風が吹いたようにさっぱりと汗がひいてしまったからだ。
「驚いたね。朝からペットボトルを5本も開けたんだ。飲んでも飲んでも、すぐ汗で飛んでしまう感じでね」
「そんなに汗をかくと、身体がだるくなってしまうでしょう」
「まったくだ。頭が痛いし、むかむかするし」
「そんなときは生理食塩水がいいんですよ。どうぞ」
 男が次にカウンターに置いたのは、白磁の茶碗だった。ほとんど無色のぬるい湯。いや、薄い桃色か?
「桜湯です。桜の塩漬けが入ってるでしょう?」
 ほんのり甘い香りがする。妹の結納のとき、飲んだ覚えがあるが、はっきりしない味のうすぼんやりした飲み物だと思っていたのに。今は、薄い塩味がしみるような気がする。朝起きて以来、初めて頭がすっきりした。そういえば、この町は桜の名所として有名なのだ。今の季節のは葉桜ばかりだが。
「汗をいっぱいかかれたから、塩が足りないのでしょう」
「塩のせいか。こんなにうまく感じるなんてな。それにこの匂い。桜餅みたいだ」
 男が笑った。
「同じ香りですよ。クマリンという成分でね。殺菌効果がある。気持ちが落ち着くでしょう。仕上げはこれです」
 男がことんと小振りの塗り椀をカウンターに置いた。ひとくちすすって、驚いた。俺が欲しかったのは、これだ。
「しじみの吸い物です。さっきいいのが入ってね。疲れた肝臓にいいんですよ」
 俺は無言で、むさぼるように吸い物を飲んだ。手足の感覚を取り戻した気がする。周囲のものの輪郭がはっきりとピントがあった。この町に来て以来、異世界の空間に紛れ込んだようにずっと現実感の無かった。今、やっと俺はこの土地の地面を踏んでいる。
「遅霜が出たほどの冷え込みの後、このフェーン現象でしょう。急に気圧が下がったし、土地の人間でも堪えますよ」
 男は現実味のない美しい微笑を浮かべながら、科学的な解説をする。
「あんた、中学校の理科の先生か何かかい?」
 俺が聞くと、男は茶碗を拭いていた手を止めた。一瞬、目を丸くしたが、すぐ人懐こい顔で笑い出した。
「まいったな。そんなに、すぐわかるもんですか。ええ、以前、教師でした。でも、今日び中学校というところも過酷でね。胃とかいろいろ一式壊してやめたわけです」
「それで、喫茶店のマスターというわけか」
「まだ見習いですけどね。さあ、お元気になったところで、かき氷でも召し上がりますか?アイスクリーム、コーヒーフロート、その他いろいろ取り揃えておりますよ」

 俺は結局、ブレンドを頼んだ。男が用意している間、俺は店を見回して、窓際に下げてある細い布の袋に目を留めた。着物の生地で作ったらしい。多分、絹だろう。光沢のある生地に水紋を描く黒い鯉、水面に影を落とす水草。ハスか? いや、黄色い花のハスなんて見たことない。葉の形もトランプのスペードみたいで変わってる。どうしてそんなに、その布に惹きつけられたのかわからない。俺は一心にその生地の図柄を見ていた。

 一瞬、鯉が動いて、新たな水紋が広がった。

 俺は目を瞬いた。もちろん図案の鯉がはねるはずなどない。でも、今、確かに……。
「ああ、その袋」
 俺の視線に気づいたのだろう。男が言った。
「笛を入れる袋ですよ。誰かお客さんの忘れ物だと思うんですけど、取りに来ないかな、と目に付くところに下げておいたんです」
「笛って小学校で習うようなヤツかい?」
「いえ。多分、それは篠笛の袋ですよ。ここらは結構盛んなんです。ほら、夏のねぶただの、ねぷたの時に吹きますしね。他にも神楽に獅子舞、火流し、虫送り。祭りのお囃子に、笛はつきものですから」
 それこそ、別世界の話のようだった。そういう祭りはTVで見るもんで、自分で参加するようなもんじゃない。ここでは、日常に祭りがあるのだ。
 コーヒーはうまかった。俺が、勘定を、というと、男はまた見とれるようなきれいな顔でにこっと微笑んだ。
「サービスです。お客さんは私の過去を見事お当てになりましたからね。実はさっき閉めるところだったんですよ。だからこれは営業時間外なんです」
 理屈があってるかあってないかわからないが、俺は化かされたように簡単に納得して財布を閉まった。財布をしまう時、すばやくさっきの笛袋を取って、懐に閉まってしまった。何を考えていたか覚えていない。ただ、どうしても離れ難かったのだ。もう一度、鯉がはねて、水草が揺れるさまが見たい。俺は何やらわからない御礼の言葉をもごもごつぶやいて、そそくさと居心地の良かったその店を出た。


 俺は町の中心地にある城に来ていた。どんなぞんざいな観光ガイドにも載っているスポットだ。逆にいうと、城以外、神社や国宝の寺くらいしか見所がないのだ。ここに来てみて、この町は城下町なのだと実感した。駅や商業施設へのアクセスがわかりにくくて閉口していたのだが、今やっと納得した。いまだに城を中心に人が流れているのだ。城への道を尋ねると、その年配の物腰の上品な女性は、あいまいに手を動かした。
「あっちの方に歩けば、どの道を通っても必ずお城につきます」
「あっちの方?」
「お山さんの方」
 女性の指差した方に、くっきりと青く岩木山が見えていた。

 この数日、この町の人々にしばしばこの山の名が上るのは気づいていた。「お山さん」「お岩木さん」「お岩木やま」。
いろんな呼ばれ方をしているが、とにかく城以上に、この岩木山はここの人々の方向感覚の重要な座標を占めているらしい。
「お城の天守閣からみるお山さんがいちばんきれいなんですよ」
 年配の女性に教えてもらったとおり、俺は天守閣に上って冴え冴えとした輪郭を誇る岩木山を見ていた。富士山のような成層火山の形だが、富士山の半分くらいの高さしかないはずだ。だが不思議な迫力と、近寄り難さと親しみ深さがある。
町のあちこちに、イベントのポスターやバナー、和菓子の包装紙や呉服屋の店先に下がる半纏の背中に、この漢字の「山」の字に似た3つの峰をもつ山の姿が使われていた。レコード店に行くと、それこそ山ほど、この山の名前が入った演歌や民謡があった。ひとつの山がこれほど生活の中に溶け込んでいる町などあるだろうか。
 俺は懐から、さっきの笛の袋を取り出して眺めた。やっぱり、さっきの店に返しに行こう。俺はどうかしてたんだ。
これまでの人生、まるっきり品行方正というわけではないが、万引きなどしたことなぞないのだ。でも、返す前にもう一度、鯉と水が動くところをみたい。

 夕方の城は人が多かった。天守閣の小ささに驚いたが、城を包む城郭公園の大きさにも驚いた。かなりの面積の緑地が、町の中心地を占めている。ウォーキングをする人、犬の散歩、ギターの練習をしている若い男、おしゃべりしている老婦人たち、デートらしいカップル。太陽が山の右肩に落ちようとしている。そのとき、笛の音が聞こえてきた。民謡とも違う。俺の知ってる祭り囃子とも違う。この音楽は何だろう。

 俺は天守閣のある広場から石段を駆け降りた。城内は城下の町以上に複雑な構造で、まるで迷路のようだ。暗くなり始めた公園の中を、笛の音を頼りに走った。俺が行くまで、吹き終わらないでくれ。

 俺が肩で息をしながら西側の堀端に降りたとき、その人物はまだ笛を吹いていた。でもさっき聴いた音と違う。もっと高い、陽気な感じの旋律を吹いていた。13、4に見える少年だった。10羽ほどの小鳥が枝から枝と移りながら、笛を吹く少年の周りを取り囲んでいる。何てこった。まるでディズニーの映画か何かみたいじゃないか。足元にウサギと仔ジカでもいれば完璧だ。小鳥が枝から飛んで、少年の頭に飛び乗った。
「こら。くすぐったいから、それはやめろって言ったろう」
 少年が吹き止めた。そして、俺に気づいて振り返った。何と言えばいいのかわからなかった。俺はまだ、息を荒げているし怪しいことこの上ない。俺は切羽詰って、手に握ったままだった笛の袋を差し出した。
「あ。俺の笛の袋。どこにあった? 無くしたと思っていたのに」
 俺が、小さな川の傍の喫茶店のことを説明した。
「ああ。”きりまんじゃろ” ね。この間、バアちゃんと買い物に出たとき、あそこで昼飯食った。あそこで落としたのかあ。何かそんな気がしてたから、さっき店にメイルしたんだよ。そしたら”届けにやるから” って」
 少年がケータイ電話を見せた。おとぎ話の主人公のような少年が携帯電話を持っていることと、いつの間にか俺がお使いになっていたことと、どちらが不思議だろう。第一、さっきの男は落とし主を知らないと言ってたじゃないか。

「その笛の袋……」俺が言いかけた。
「ああ、この笛用なんだ。ありがとう。バアちゃんが自分の着物で作ってくれたんだ」
「でも、さっき別の音もしてた……」
「ああ、うん。さっき吹いてたのはこっち」
 少年が70センチほどの長い笛を別の袋から取り出した。そちらの袋には鶴の図柄が付いていた。
「長い方が登山囃子。短い方が下山囃子。お山参詣のとき、行きと帰りに持ち替えて吹くんだ」
 俺が狐につままれたような顔をしているので、少年がしょうがないなあ、という感じで面倒くさそうに、でも明らかに得意そうに説明をしてくれた。旧暦8月1日、太陽暦だとだいたい8月末から9月上旬に岩木山大祭が行われて、各集落の氏子が巨大な御幣を立てて、お供えものの餅や酒を下げて、囃子や歌に合わせて岩木山神社まで数キロをパレードするらしい。神社の境内で、囃子の披露をして、午後から奉納試合が行われる。
「試合って何の。相撲か何かかい?」
「相撲もあるけどね。囃子の試合がメインだ。俺、今年初めて出るんだよ。だから練習してたわけ。家だとオヤジにいろいろ言われるし、照れるし、近所はライバルばかりだし。この綾は、絶対本番まで秘密にするんだ」
「綾?」
「音の飾りだよ。こーいうヤツ」
 少年が実演してくれた。信じられないほど早く指を動かしながら、少年は真剣な顔で吹いている。遠い国の紀行番組でも、おとぎ話でもなく、山への信仰が彼にとっては現実なのだ。リトル・リーグの練習をするのと同じ次元で、彼は一生懸命、山に捧げる音楽に磨きをかけている。

 気が付くと、西堀の桜並木の下はすっかり暗くなっていた。
「わ、もう帰らなくちゃ。宿題があるんだ」
 少年が笛を片付け始めた。
「待ってくれ。2つ、教えてくれ」
「うん?」
「その袋の黄色い花……」
 少年がにぱっと笑った。とにかく笑ったように見えた。暗くてよく見えなかったが、彼の周りが明るくなった気がしたのだ。
「ああ。コウホネだよ。河の骨って書くんだ。外の堀にたくさん咲いてるよ。朝開くから、明日見てみればいい」
「コウホネ……」
 その植物の名前は聞いたことがある感じがした。
「じゃね、拾ってくれてありがとう」
「あ、待って。もうひとつ」
 走り出した少年が、立ち止まった。
「君の名前は?」
 今度ははっきりわかった。彼はにこっと笑った。
「響」
 そして駈け去った。私は真っ暗になった堀端で、しばらく立ち尽くしていた。

 翌日、まだ朝日がまぶしい時間に、俺は再び城に向かった。少年が教えてくれた通り、北側の外堀に黄色い花がたくさん開いていて、分厚い濃い緑の葉がゆれている。朝日が葉の間から見える水面に反射している。堀端には、フナ釣りの老人が数人座っていた。
 何だか夢のようだ。川端の、あの”きりまんじゃろ”に入る前と入った後と、どちらが夢なんだろう。昨日、あれから、もう一度、あの店に行ってみた。予想はしていたが、あの男はいなかった。50絡みの男がビールとうまいつまみを出してくれた。
「今日の3時ころ? いえ、閉めてましたねえ。知り合いのリンゴ園の手伝いにね。お陰でこの季節に日焼けですよ」
 笛の袋のことは聞かなかった。あの細い男は、笛の音を好むという稲荷の狐の使いだとでも思っておくことにする。

 ぱしゃん。

 水面を大きな鯉のしっぽがはねた。ゆったりと水紋がひろがって、順番にコウホネの黄色い花と艶のある葉をゆらした。
 また来よう。次は山に上るか。お祭りの日に。笛を聴きながら。

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過去ログ
落ち着いて読めました (ゆ~し)
2008-07-16 10:16:35
芦田さんの短編、好きだぁぁぁ。
読んでると情景が浮かんでくる。細い線が踊っているような、鉛筆画で。

鉛筆画・・・いいかも (芦田スオミ)
2008-07-16 11:18:52
感想、ありがとうございます。
夜中にお風呂の中で降臨して、一気に書いちゃった作品です。どこまでが想像ででこからが実生活なんだか。
割と地で、こういう生活だったりします。


背景もいいね (ゆ~し)
2008-07-28 11:20:56
そろそろお祭りの頃では、夜な夜な笛の練習でもしているのでしょうか?


夏本番! (スオミ)
2008-07-31 12:10:35
明日から、ねぷた、ねぶたが始まります。
今夜は前夜祭。笛吹くぞう。
ねぷたが終わると、獅子舞奉納。それから、いよいよ、岩木山大祭。響くんと一緒に参詣だ!


知られざる花 (スオミ)
2008-08-05 22:09:58
 何人かの方にこの小説を読んでいただいて、感想をたずねると、「ところでコウホネって何?」と聞かれた。
 意外と知名度低いぞ、コウホネ。
 ナゾを呼んでしまうタイトル。失敗したかしら。きれいなのに・・・。

 ねぷたは5日め。ヤケクソに盛り上がっています。









        
 
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