category鉱物図鑑

『ガーネット・コンプレックス』

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幸子とムスターファの続編。
今回は千晴と幸子の物語です。

やっぱり後味悪いなあ。

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 目下、大型犬ムスターファに夢中の幸子が、珍しく犬以外の話を始めた。昔のように眉根をきゅっと寄せて困った顔をしている。
「私の母っていったいどうやったら満足してくれるのかしら。どんな条件がそろえば ”自分は幸せだ”と思ってくれるんだろう」

 幸子の母親には私も何度か会ったことがある。印象はひとことで言うと ”ムーミンママ”。ふっくらと円満な顔に柔和な表情。花が好きで、庭いじりや野山を歩いて花を見るのが趣味だそうだ。
 一度、その印象を言うと、幸子はため息をついた。
「当たっているのかも。でも問題はうちの父が ”ムーミンパパ” なことよ」
「あら、じゃ、理想じゃないの」
「ちーちゃん、原作のムーミンを読んでないでしょ。アニメのパパみたいに包容力のある大人の男性じゃないのよ」

 幸子によるとトーべ・ヤンソン原作の方のムーミンパパは ”度を越したロマンチスト” らしい。特に『ムーミンパパ海に行く』がひどいと言うので、後日読んでみた。アニメの ”名作劇場” 的なご都合主義は全く無く、思春期の息子を抱える中年夫婦の姿がリアルかつシビアに描かれていて驚いた。そして確かにムーミンパパはひどかった。
 ムーミンパパの ”男のロマン” は窮地にある乙女を救って幸せにすること。その夢はしっかり息子のムーミンに引き継がれていて、いろいろ微笑ましい事態を巻き起こすのだがそれは別にいい。ムーミンパパの救いたい乙女が、職場の20も下のOLだの、セーラー服の援助交際希望者でない点は評価すべきだろう。ムーミンパパのヒロインはムーミンママだけなのである。しかしママはすでに、パパの見つけた家で幸福に暮らしている。満ち足りて微笑む乙女をどうやって救えばいいのか? もう一度窮地に放り込めばいいのだ。
 パパは一家を引き連れて、全てを捨てて無人島に旅立った。そこで家族のために生活を一から立ち上げるという男らしい喜びに浸る。

”まあまあ、待ちなさい。万事、私に任せておけば大丈夫なのだよ”

 ママが自分で工夫して問題を解決したりすると落胆して不機嫌になったりする。とうとうママはノイローゼになって家事放棄する事態に。自力で回復して来たママにパパのいうセリフときたら。
「うむ。戻ってきたからいいが、おまえは私が帰って来たらいつも台所にいなければいけないのだよ」
 まったくとんでもないな。

 まあともかく、幸子の父親は ”永遠の少年” であり ”永遠の赤ん坊”。妻というよりママが欲しい男なのだ。私の印象では、幸子の父はハンサムで人当たりがよく、器用に何でもこなすタイプに見えた。しかしその有能さは、家の外限定で家庭内では我が侭な坊やなのだそうだ。で、幸子の母親は私から見ると母性あふれるタイプに見えるが、その母性をダンナだけに使い果たして、幸子にはそのシワ寄せが来ているらしい。聞いてみないとわからないものだ。
 幸子は家庭内で母親以外に唯一の女性なせいか、5歳から母親のグチを聞き続けて母親に甘えたり反抗したりするチャンスがなかったそうだ。昭和ヒトケタ生まれの幸子の母親は、自分の抱える不満を父親にぶつけることができなかったらしい。

「”女は黙って男に従う” 世代ってわけ?」
「ちがうの。どうやら意地の問題らしいのよ」
「意地?」
「自分の要求を相手に伝えて交渉するのが ”甘える” みたいで嫌なんだと思うの、多分」
「何それ」
「ほら、ドラマなんかで甘ったるい声のアイドルがオジさまにいろいろねだるシーンってあるじゃない。ああいうの、身の毛のよだつほど嫌ってるの。娼婦と同じだ、とか吐き捨てるように批判するのよ。自分はああなりたくないって思ってるんじゃないのかな」
「それはまた、何と言うか……根深いものを感じるわね」
 おそらく専業主婦になるには独立心があり過ぎる女性だったのだろう。経済的に依存している相手が敵になってしまうのかもしれない。
「そのくせ父に対して、ああしてくれたらいいのにとか、ああだったらいいのにって不平を全部私に言うの。で、それ、私じゃなくて父さんに言えばいじゃないって言ったら……」
「言ったら?」
「”言ってもどうせわからない”、”言うだけムダだ” って言うの」
 せっかくプライドを曲げて娼婦のフリをしたのに振り返られなかった屈辱を万が一にも味わいたくない、というところだろうか。
「で、14くらいの時、私、父に言ってみたことがあるの。根本的な変革じゃなくて、気がつけばすぐ変えられそうな簡単な要求」
「どんな?」
「バカらし過ぎて忘れた」
 幸子もなかなか毒舌である。
「父はすぐ聞き入れたわ。私に言われてショックだったみたい。そして、その後、母が怒ったことったら」
「え、何でそうなるの?」
「つまり私は告げ口した裏切り者ってわけよ」
「ああ、なるほどね」

 不謹慎だが幸子が自分のことを話すのは珍しいので、私はわくわくしてしまった。
「私は女同士の軽いおしゃべりのつもりで話したのに、あんたはそれにつき合う余裕もないのって怒るの。でも軽いおしゃべりなら井戸端会議仲間に話せばいいじゃない。そういうところで話せない話を取っておいて、溜まったものを私にぶつけるのよ。兄が生まれたとき、”本家より先に男を生むなんてどういうつもりだ” って大叔母さまが枕元に立って怒ったとか、その下の子を流産したとき、父は社会人野球に夢中で、4番エースの俺がいないと試合が成り立たないって具合の悪い母を放って行っちゃったとか。確かにひどい話だけど、みんな私が生まれる前のことよ。そんなこと、私、責任取れない。何度も何度も聞かされるのよ、呪いみたいに。私にどうして欲しいのかしら。私、どうしたらよかったのかしら」

 幸子は眉根を寄せて、いつもの半ベソの顔をしている。でも一生懸命笑おうと口角を上げるものだから、いかにも幸薄そうな般若の面のような表情になるのだ。この表情をしているときの幸子は本当に美しい。

「私にできるのは、母のライバルにならないことだけだったわ。父は私を猫かわいがりしたけど、私は必死に努力した。父の寵愛を受けないように、おねだり上手の娼婦にならないように。いつも地味な服を着て、つらそうな顔をして、母より幸福な女にならないように。でもそんなこと、どうでも良かったの。母は私なんか見ていなかった。母は私の味方じゃなかった。私がどんな服装をしようと、どんな表情をしようと、母は幸せになんかならない。けっして満足しないのよ」


 私は何とコメントしていいかわからず、青茶の茶壺に5回目のお湯をそそいだ。まだ香りが爽やかに立ち上る。だが気分を変えるために、茶葉を変えた方がいいかもしれない。
 店員に矢車菊と紅花の花びらが茶葉とともに開く工夫(くんふー)茶を頼んだ。お茶請けにクコの実、松の実、いちじくのゼリーの盛り合わせを出してくれた。
 お湯の中で茶葉の丸いつぼみがふわっと花開く。その甘くやさしい香りを吸い込んで、幸子は深いため息をついた。
「お母さんと何かあったの?」
「ううん、大したことじゃないんだけど……」

 幸子はこういう持って回ったグチしか言えない。自分でもよく ”ステゴザウルス並の神経なのよ”と自嘲的に笑う。”何の理由もなく殴られたとしても、怒るまで30分かかるわ”。
 でもそれはステゴザウルスのように神経伝達速度が鈍いということではない。なぜ殴られたかぐるぐる考えてしまうせいだ。
”自分に相手を怒る権利があるのか考えてしまうの”。親にかばってもらえなかった子供は、普通、自身で生き抜くために、もっとたくましくなって良さそうなものだ。”自分は理不尽な扱いに怒る権利がない” とか ”自分には幸せになる権利がない” とまでの罪悪感を母親から植え付けられるなんて、どういう状況なのだろう。

 無言になってしまった私たちのテーブルに、店員さんがことんと緑釉を曳いたボウルを置いた。
「サービスね。大きくてキレイだから。甘いヨ」
 4つに割った石榴だった。この店は大陸からの出稼ぎの窓口兼訓練所らしい。日本語がうまくなったと思ったら、店員さんが入れ替わる。もっとも流暢に話せてもわざとなまってしゃべっているのかもしれない。
「ザクロ。コワイお母さんの食べ物、でしょ。自分のコドモの代わりにザクロ、食べる。でも甘くてオイシイヨ」
 どきん、とした。自分の子供を育てるために、他人の子供を虐殺し続けたカーリー神。そして間違えて(カーリーを悔い改めさせるための釈尊の策略。これもまた、ひどい話だ)自分の子供を殺してしまった。
「私は何の生贄だったのかしら。兄や弟に自分の抱えた怒りを見せずに、やさしいムーミンママでい続けるために、私にだけ鬼の顔を見せたの?」
 幸子はひとつぶ、ザクロを口に入れた。
「甘い。血の味も骨の味もしない。鬼子母神は本当にこんなもので我慢できたのかしら。本当はこっそり、時々子供を殺して食べていたんじゃないかしら。1人食べればそれでしばらく我慢できる。他の99人の子供を犠牲にしないために」
 私は黙ってザクロを口に運んだ。こんなにやさしい味なのに。

「母がうちに来てる時にね、ムスターファから電話が入ったの。語学教室の講師だと説明したんだけど……」
 まあ、バレるだろう。ムスターファと話す時の幸子は、オーラがバラ色になってしまうから。
「母が言うの。私が離婚して気の毒な身の上だから、病気療養ということになっても職場の人々は同情して融通を利かせてくれているのにって。もしあんたが男とちゃらちゃら遊んでるってわかったら、もう誰もあんたの味方になってくれないよって」

 テーブルの周囲の気温が5℃くらい下がった気がした。口さがない他人、彼女の抱える痛みを知らない人間なら、そう言うかもしれない。給料もらって休めて、いいご身分ね、代わって欲しいわ、というような人間なら。
「それで、療養中はハデな服を着るなとか、職場の人の目に触れるところを出歩くな、とか言い始めて。聞いているうちに、私、全身にじんましんが出ちゃったの。それが痒くなくて、痛いブツブツで」
「痛い? それって帯状疱疹じゃないの?」
「うん。私もそう思って翌日、皮膚科に行ったの。そうしたら、帯状疱疹って神経節を回るから、右か左、どちらかの半身に出るもので、私のように背中全体に発疹するはずないんですって。とにかく背中を下にして眠れないほど痛むから、痛み止めを打ってもらったの」
「ずいぶんひどい発疹だったみたいじゃない。原因は何なの」
「皮膚科でも内科でもわからないと言われたわ。ただ血液検査の結果を見たお医者さんは、白血球数が18,000もあるけど、別にどこにも炎症はないし、何かよっぽど強いストレスになることがありましたかって」
 さすがに療養の助っ人に来た母親がストレス源とは言えまい。
「お母さんは何て?」
「身の程をわきまえて大人しくしてないからだって。バチが当たったんだと言わんばかりに」
「ううむ」

 かなり根深い事態だ。どちらかというと嫁姑の心理関係に近い。父親や兄、弟をめぐって幸子と母親がライバル関係にあるんだろうか。兄も弟もこっそりかばってくれたと言っていたけれど。
「発疹は3日くらいで治まったんだけど、3日めの晩、ひどく苦しくなって……。お腹が中から引っ張られるみたいに痛くて、吐き気がして、とにかく寝ても立っても胸苦しくて。冷や汗が出て、5,6時間のたうち回ったの」
「それって救急車を呼んだ方がよかったんじゃないの」
「うーん、まあ、我慢できないほどじゃなかったし」
 この辺り、幸子はおっとりしているというか、パニックに強い。アリゾナのトレッキングでガラガラ蛇に噛まれたときも、本人が一番落ち着いて血清の準備をしたらしい。父親がマチ針が刺さっても大騒ぎをするタイプなので、それ以外の家族には耐性ができたのかもしれない。
「でも次の日の朝、お腹が痛いからトイレに行ったら大量の血が出ちゃったの。生理じゃないし、どう考えてもお尻の方から出たし。お腹がますます痛くなってきたから、その日土曜だったけど救急当番の病院に行ったの。そしたら大腸に潰瘍と炎症ができてたんですって。歩いて来たって言ったら、ERのお医者さんに驚かれちゃった」
「大丈夫なの?」
「うん。さすがに大腸から血を出したら、母もそれ以上あれこれ言わなくなったから」
 腸を吐いてその間に逃げるナマコのような戦法である。

「血を出す前の晩、私が床でのたうちまわっている間中ね、母はイスに座って私を見下してたの。自分はもっと苦しい目に遭ったって。夜中に眩暈がして、脂汗が出て、廊下で倒れてのたうち回ったことが何度もあったんですって。でも自分は病院になんか行かなかった。家族の誰にも助けなんか呼ばなかった。私が死んでても父さんは気づかずに、”あれ、朝メシが出来てないな” って言うのよ。だから私は何も言わずに這ってでも料理を作り続けて来た。あんた知ってた? 知らなかったでしょう? 気づかなかったでしょう? そう、何度も言うの。私はそのとき、熱があったけど、母にタオルを濡らしてとも、水を汲んでとも頼めなかった。母の目の前で自分で這って、タオルを変えた。母は微動だにせず、私を見下ろして呪っていた」
 幸子はザクロを口に運んだ。
「私、それほど母にひどいことをしたのかしら。私が女だという以外に何か罪があったかしら。母は言うの。お兄ちゃんはやさしい。弟はよく気遣ってくれる。私の育て方だけ間違ったって。私がどんな娘なら、母は私を愛してくれたかしら」
 ザクロの後味が口に苦く、私は言葉を失っていた。


 幸子と別れた後、私は熱に浮かされたようにふらふらと街をさまよった。デパートの1階で見るともなくショーケースを眺めていて、ガーネットのピアスに目を留めた。ザクロ石。意思を強く持とうとするものを守護する勝利の石。
「これ下さい」

 メッセージカードを添えて、幸子に贈ろう。
”お母さんがあなたを守ってくれないのなら、あなたがあなた自身を守るために戦いなさい”
”I will stand by you. Always, Chiharu.”



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〔テーマ:自作小説ジャンル:小説・文学

 
いよいよ来たか・・・
きましたね、ついにここまで。夏のけだるい午後にぴったりの後味の悪さ。いいぞ~!!

●自分を支持する
「ほかの人を喜ばせるために自分を否定しないこと。そんなことをしていたら自分を見失うだけ」
●経験をすべて遊びと考える
●満足を求めて手を伸ばす
「あなたがやっていることは、あなたを満足させている? それで笑える? 歌いたい気持ちになる? そうだったら、それをしっかりつかんでいなさい」

以上  ジョーン・エリクソンばあさんの人生訓より
ターシャ・テューダにしろこの人にしろ、92歳まで自分の好きに生きた変わり者女の話は面白い。このごろつくづく思う。こうなったら、しぶとくしぶとく妖怪になるまで長生きせねばつまらんなぁと!!

Googlからのコマーシャルも、おまぬけな感じでいいね
おまけ
平成の専業主婦(絶滅危惧種)を、私は“平成の博徒”と呼んでます。だんなに自分の人生を丸ごと賭けるのは、それなりの胆力が必要です。
んだ、しぶとく生き延びようー
さすが、nengちゃん。するどいツッコミだわ。
副題 ”専業主婦の逆襲”だよねー、この小説。









        
 
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