categoryスポンサー広告

スポンサーサイト

trackback--  comment--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
categoryアンチ・プリンセス・ファンタジー

『人魚姫の還元』

trackback0  comment1
 『白雪姫の終焉』の続編。
 急展開です。

 (※男女の性愛を暗示する抽象表現が出てきます。ご注意ください。R-18)


 ===== ===== ===== ===== ===== ===== ===== ===== 


 まるで砂浜で裸足の足を波に洗われながら、うたた寝しているような気持ちだった。

 日を浴びすぎたように、泳ぎ疲れたように、気だるい。でも、熟睡はしていない。冷たい波飛沫のように、かん高い鳥の声のように、心地よく私を呼び覚ますものがある。

 私を眠りから引き戻すのは、隣で眠っている緑川周だった。私はいつまでも、飽きずにその寝姿を眺めていた。彼を知ってもう6年にもなるけれど、こんなに近くから彼を見つめたのは初めてだ。
 いや、2度。事故で身体が密着したことがあった。イモリのときと、ラーメン屋のとき。でも、その時は彼との距離に驚いて、顔を見上げることもできなかった。
 今は、遠慮なく好きなだけ見つめることができる。何てぜいたくだろう。

 まず気に入ったのは手だ。
 筋張った細い長い指。おや、左手の薬指だけ爪が理想的な楕円形をしている。マニキュアのCMモデルだってやれそうだ。他の指は全部、働き者らしい厚くて丸い爪なのに。
 日に焼けた、静脈の浮いた腕もきれいだ。上腕の筋肉も。むだな肉のない背中も。くれた肩甲骨のくぼみも。

 この美しい身体が私を抱いたなんて信じられない。もっと痛くて苦しいものだと覚悟していたのに、緑川はしんぼう強くてやさしかった。私は安心して、彼の腕の中で何度も翔んだ。
 これほど、自分が誰かに求められて、受け入れられたと実感できたのは初めてだった。自分自身でさえ、ずっと自分を持て余していたというのに。

 これほど、幸せな体験ってあるだろうか。

 人魚姫は、王子さまの心を得られなくて、海の泡と散ってしまった。でも、私は今、このまま泡となって海に溶けてもいい、と思えるくらい幸せだった。


 純度100%の幸せ。
 いや、100%ではない。98%? いや……96%かもしれない。でも、それは決して緑川のせいではない。

 緑川に抱かれながら、私はどうしても、これまで彼と関係のあった女の子たちのことを考えずにいられなかった。おそらく私より若く、私より経験豊富で、私よりも積極的に彼に協力することのできる美しい身体。
 緑川は私で満足できるのだろうか。今は目新しくても、すぐに飽きてしまうのではないだろうか。
 そう考えた時、自分でも驚くほど強く、胸が痛んだ。その痛みに涙がにじんだほどだ。

 最初は空港で私を見つけた彼が微笑んでくれただけで、目がくらむほど幸せになれた。あれから40時間足らずで、私は信じられないほどたくさん幸せを手に入れたのに、まだ満足できないのだ。何て欲張りになってしまったのだろう。

 昨日、里山を歩いていて小さな鳥居を見つけ、2人で薄暗い石段を上ってみた。ところどころ、石段が崩れていたので、緑川が手を引いてくれた。登り切ったところで、暗い照葉樹林が突然拓けて、夕映えに染まった空が見えた。かなり長い間、ひとことも口をきかずに、手をつないだまま色が移り変わっていく空を見ていた。
 あの時初めて、私は気後れする自分を感じずに緑川の隣にいることができた。心がひとつになった気がした。これ以上、何も望むものはない ……そう思った時、緑川がキスしてくれたので、私はこんなに欲張りになってしまったのだ。

 
 思いは行ったり来たりしたが、その間中、目は飽かず緑川を見つけていた。硬くしまった足首。突き出た腰骨。本当は指でたどってみたくてたまらなかったが、起こしたくなかった。

 まつ毛がこんなに長かったかしら。
 そう思った瞬間、緑川が目を開けた。寝ぼけたりしない。いきなり100%の覚醒だった。
「ずっと起きてはったんですか」
「ううん。何度もうとうとしたけど……」
「俺がうるさかったんでしょ」
「そうじゃないの。何だか……寝るのがもったいなくって」
 緑川がやっと笑った。
「おはようございます?」
 おどけた表情を作って、まじめなあいさつをする。
「おはようございます」
 お互い裸であいさつを交わすのがくすっぐたくて、くすくす笑い出したくなる。
「まだ早いでしょ」
「ええ。日曜日の6:30。もう少し寝ていても、罰は当たらないわよ」
「いや、俺も……寝てるのがもったいないもんで……」
 そう言って腕を伸ばすと、私を抱き寄せた。


 それから数日、私の ”これ以上ない幸せ” のレベルは天井知らずに上るばかりだった。
 2人でスーパーで買い物をして、緑川のアパートの限りある鍋類で調理し、2人で向かい合って食べるだけで、私にはわくわくする冒険だった。日中は仕事があるので、2人で歩くのはたいてい夜だが、ただの夜道でも緑川といると楽しかった。
オケラの声。木星。細い月。窓からこぼれ聞こえた映画音楽。沈丁花の香り。
 音や匂いを当てながら、暗い公園や街路をあてどもなく歩く。
「おみそ汁」
「葱のおみおつけ……違うな……みょうが?」
「大根よ」
「大根だ」
「あ、レイダースのテーマ」
 そんな感じで、何時間でもさまよっていた。


 月曜日に出勤する時は、少し緊張した。やっと2人でいるのに慣れた。でも2人きりのとき2人でいるのと、2人で他の人の間にいるのは違う。2人連れ立って室長室のドアを開けたとき、笹原はパソコンから顔を上げ、ぽかんというような顔をした。私は何だか決まり悪いものを感じたが、あえてかまわずあいさつした。
「おはようございます。緑川さんをお連れしましたけど」
 笹原はあいさつを返すこともせず、そのまま私と緑川の顔を交互に見比べていた。それで緑川もわざと快活にあいさつした。
「おはようございます。やっとインドネシアから帰ってこれました。予定より遅れて申し訳ありません。よろしくお願いします」
 しばらく緑川の顔を見つめた後、笹原がやっと口を開いた。眉根をわずかに寄せて、まぶしいような寂しいような表情で笑った。
「いらっしゃい。こちらこそよろしく。歓迎するよ」

 緑川はいきなり2人の研修生に気に入られた。3週間早く研修を始めた2人は、先輩風を吹かせて、トンチンカンな日本語で実験室のルールを教えようとする。意味がわからなくて、緑川が英語で確認する。すると、さらに2人がヘンテコな日本語でまくしたてる。その掛け合いは録音しておきたいくらい楽しかった。
 出会って10分も経った頃、ヴェトナムから来たファンさんが、「ミドリカワさん、キョウ、ゴハンおいで。オクサン、おいしいの作る。オウアさんも、オイシイ言った。クル?」と誘った。
 ケニアから来た独身のオウアさんは、ファンさんちの常連らしい。緑川が即答できないで、ちら、と私を見たので、ファンさんが
「ハナさんも、イッショ。ゴハン、キテ下さい」と言い添えた。今度は私が困惑した。緑川と2人で家に? 2人セットで?
「いいんじゃないですか?研修生世話係りと研修生第3号。行きましょうよ」
 もう、緑川は私の狼狽の方を面白がってしまっている。よし。覚悟を決めよう。
「ありがとう。行くわ。ヴェトナム料理、大好きなの」
 ファンさんが顔を輝かせた。
「ヨカッタ。オクサン、デンワします。リョウリ、イマカラ、イッパイ作る。オイシイリョウリ。オウアさんもクルでしょ?」
 2人は、2人の間だけで通じているらしい英語以外の何かのコトバで何やら相談している。
 私と緑川は顔を見合わせた。
「いいじゃないですか。行きましょ。面白そうや」
 緑川が小声でくり返した。
「そうね。問題ないわよね、別に」

 10分後に通りかかった時には、もう緑川は2人に ”シュウ” とファースト・ネームで呼ばれていた。私は軽い嫉妬を覚えた。私だって ”周” だなんて呼んだ事ないのに。
 出張の会計報告書を持って室長に入ると、笹原がちょっと笑って言った。
「仲良くやってるみたいだな。これで少し、世話係りのハナさんの負担が減るんじゃないか」
「そうですね。彼は外国人とのつき合いに慣れているから」

 単に語学力の問題ではない。英語が堪能で、留学経験がある人でも、やっぱり外国人に対して構えてしまって打ち解けられない場合がある。全然言葉など通じなくても、いきなり懐に飛び込んでしまう人もいる。緑川の場合は、何というか、相手が外国人だということを忘れてしまっている感じだ。ふと会話が途切れたとき、日本語で話し始めたりする。気づいて切り替えるけれど、あんまり意識していないのだろうと思う。

「よかったね」
 笹原が、また眉根を寄せたちょっと寂しそうな顔でやさしく言った。文脈から推察すると、”緑川のお陰で負担が減ってよかったね”という意味だと取るべきなのだろう。きっとそれが、オフィシャルな発言意図だ。でも、それにしては笹原の声はやさしく、深すぎた。
”ずっと好きだった緑川とやっと結ばれて良かったね” というように聞こえた。
 こんな微妙な発言を、イヤミにならず、セクハラにもならずに言えるのは、笹原の人徳だろう。私も挑戦的に”どういう意味ですか”などと問いただしたりせず、素直に「そうですね」と答えた。

 何かを考えているような顔で天井を見上げたあと、ややためらって笹原が言った。
「ハナさんは、ね。公私をきっちり分ける人だ。それは信頼してるし、有難いと思う。でもね」
 笹原はますます眉根をきゅっと上げて、もう悲しそうと言ってもいい表情になった。
「たまには、混同していいんだよ。いつもは困るけど、苦しいときなんかにはね。そういうとき、仲間は迷惑なんて思わない。自分が信頼されてると感じてうれしくなるもんだ。だから、仲間を喜ばせると思って、たまにはわざとグチを言ったり、甘えたりしていい」
 私は困惑した。いささかむっともしていた。笹原は何が言いたいんだろう。
「つまり、私がつっぱっていると?」
「そういうわけじゃない。室長としての一般的な話だよ。忘れてくれていい。ただね、30前後の女性っていくつも大波をかぶらなくちゃいけないからね。しんどいときに今の話を思い出してくれればいい。そういう、あてのない話だ」

 私はまだ、室長の意図を掴みかねていた。今日、このタイミングで話すということは、緑川と関連のあることなのだろう。つまり、私が緑川といると、今に苦しむことになると?

「悪かった。忘れてくれ。わざわざ呪いをかけることないよな」
 笹原がぱっと表情を変えた。いつものちょっと軽い感じの笑顔に戻っている。 
「せっかく研修生の分の負担が軽くなりそうなときに悪いけど……またお客さんだ。半年の予定でつくばに来ているスウェーデンの人。3日ほどこっちに来て、観光のついでに30分ばかし講演をやってくれるらしい」
 お客のプロフィールを書いた書類を、渡して寄こした。
「ご夫妻で来るらしいから、こちらも複数がいい。緑川と二人で相手してくれないか。講演だとかはこっちで準備するから、観光の方頼む。ジンジャ巡りが趣味らしい。祭神の説明を求められるって、ホストの小西が慌てて日本書紀だの勉強してるらしい」
 私はまだ警戒を解いていなかった。話題を変えてもだまされないぞ、という顔で笹原を見ていた。
「ま、来月の話だ。これもまた、あてのない話だな。当分、忘れてていいよ」
 笹原は、私の持ってきた会計報告書をぴらっと振ると、話は終わりだ、というようにパソコンを開いた。
「これ、ご苦労さん。ハナさんは、いつも仕事早くて助かるよ」
 私は、ぺこっと頭を下げて室長室を辞去するしかなかった。



 そんな風にして、1週間が過ぎた。その間に、私たちは2回ファンさんちに招かれた。毎日夕方に少しずつ作業して、緑川はリサイクル・ショップでもらってきた家具をすべて修理して、ペンキを塗り直した。なかなかの出来映えで、店にあれば私も買いたいと思うほどだ。ほぼ毎日、どちらかの部屋で一緒に夕食を食べ、毎晩一緒に過ごした。
 なのに、私はまだ何の言葉も聞いていなかった。何の約束もなかった。私は緑川の何なのだろう。でも私は、約束を迫るような愚かな女になりたくなかった。自由な緑川が好きなのだ。責任を取って、暗い顔で拘束されている緑川なんか要らない。だから、重たい、でもありふれた愛の言葉なんか要らない。


 週末に3回めにファンさんちに招かれたとき、奥さんのハイさんが何かをファンさんにささやいた。ファンさんはこちらを向いて言った。
「オクサンが、シュウとハナさんはいつケッコンするかキキタイそうです」
 私はうろたえてしまった。ファンさんは、つまり私たちがカップルだと思っていて、そうハイさんに説明していたってこと?私は一度も、そう言ってない。それに第一、ケッコン? まだ、彼女でさえないのに?

「あのね。私と緑川は学生時代の知り合いで……1週間前に再会したばかりなのよ?」
 こんな噛み砕いてない説明、もちろんファンさんにもオウアさんにもわかるわけない。何度か質問が行き交ったあと、またハイさんがダンナさんに何かささやいた。この2人は、2羽のセキセイインコのように仲が良い。両親の夫婦仲がしっくり行ってないせいか、結婚というものに夢を持っていなかった私も、この2人を見ていると結婚っていいものなのかも、と信じられそうになる。
「でも、シュウはハナさんスキ。でしょ? ハナさん、シュウがスキでしょ? いつアッタカ、モンダイない。でしょ?」
 私は恐ろしくて、緑川の顔を見ることもできなかった。雄弁な沈黙が流れた。食卓の空気を壊したくなくて、私は何とか、その場しのぎでもいい、何かハイさんが安心するような答えを探そうと必死だった。

 緑川が笑い出した。いつもの屈託ない笑い声。あらゆる深刻な問題も棚上げにされてしまう笑顔。
「ファン、俺はハナさんと会ってから9年待ったんだ。ハナさんを怖がらせないように。慌てて、台無しにしたくない。ハナさんが納得するまで、何年でも待つよ」
 わかりやすくゆっくり話したが、それでもその後、何度か質疑応答が行き交った。でも、私には耳に入らなかった。これが、初めての告白だった。何とも心もとない言葉だが、私に対しても社会に対しても、私と緑川の間に何らかの私的な関係がある、と積極的に認めた最初の言葉だった。

”ワタシノコト アイシテル?”
 そんな陳腐で愚かな質問などしたくない。私たちの間には、確かに素晴らしい何かが存在している。言質なんかもらっても仕方ない。そう、自分に言い聞かせていたのに、いざ、緑川の言葉を聞くと、どれだけ待ち望んでいたかわかった。涙があふれ出てきて、コントロールできなかった。仕事仲間の前で、泣くなんて。慌てて席を立って、玄関につづく廊下に出た。何てみっともない。きっと変に思われた。私は2人の先生役なのに。先生が生徒の前で泣くなんて。
 早く泣き止んで、何事もなかった顔で食卓に戻ろうと思うのに、涙がいくらでも出てきた。”何年でも待つよ”、”台無しにしたくない”

 気が付くと、横にハイさんが立っていて、私の肩に手をおいた。そして、私の背中をごしごしさすってくれた。私が嘔吐でもしているかのように。小柄な目のぱっちりした奥さん。まだたった22歳なのにダンナさんについて、一言も言葉の通じない外国にやってきた。そしてほぼ毎晩のように、ダンナさんの仕事仲間に夕食を提供している。とてもマネできない。こんな勇気、私にはない。そんな度量は持てそうにない。どうしてそんな風に他人に自分を委ねることができるんだろう。私の涙がなかなか止まらないので、ハイさんは台所に立つとガラスのボウルにフルーツ・ゼリーを入れて持ってきた。まるで、子供にするようにボウルを差し出す。私が受け取ると、にこっと笑って、立ったまま自分の分を食べだした。私もぼおっとしたまま、マネをしてスプーンを口に運んだ。

 甘い。やさしい甘さだった。そのやさしさがしみて、またどっと涙が出てきてしまった。私は今まで、何を見ていたんだろう。何をこわがっていたんだろう。私は人のことを信用していなかった。私は自分のことを信用していなかった。いつも殻の中に閉じこもって、必死で自分を守っていた。そして、人の気持ちを拒絶して来たのだ、きっと。そんな臆病な私に、緑川は気が付いていた。”9年待ったんだ”
 9年? 彼が同じ研究室に配属されて来てから、今年で6年のはず。9年?

 何とか涙が止まって、顔を洗って食卓に戻った。まだ目がはれぼったいけど、気にしない。今さら取り繕っても仕方ない。私が決まり悪い思いをしないように、ファンさんもオノアさんもわざと明るくしゃべっている。ようやく、料理の味がわかるようになって来たころ、オノアさんがぼそっと「ヨカッタね」と言った。まるで、先日の笹原の言葉のようにいろんなニュアンスを含んで響いた。いろんな方向の思いやりが含まれていた。
「悪い世話係りね。頼りにならないわね」
 オノアさんがきれいなチョコレート色の顔でにやっと笑った。
「ハナさん、世話係り。だから、オレたち、ハナさんの世話します」
 もしかして、笹原が私を2人の世話係に認定したのは、こういうねらいだったのだろうか。また涙があふれそうで、困った。


 ファンさんの家から歩いて帰りながら、私はまだちょっとぼうっとしていた。夢でも見ていた気分だ。何だか、短時間にいろいろ起こり過ぎて、足元が覚束ない気持ちさえした。人生観が72°くらい変わったんじゃないだろうか。

 緑川は、私が考え事できる程度に離れて、でも寂しく感じない程度に側を歩いていた。そこで、私は聞いてみた。
「あのね。さっき言ったでしょう?」
 緑川はすぐに聞きたいことを察して、笑った。あらゆる事柄を帳消しに出来る、きれいな笑顔で。
「ああ。9年待ったってやつでしょ。俺が最初にハナさんを見たのは、9年前なんです。もちろん、ハナさんは俺に気づいてなかった」
 私が言葉を失っているので、緑川はさらににこっと微笑を閃かせた。
「俺が1年生で、探検部の先輩がハナさんのゼミにおった。本を借りに行ったんです。そしたら、ハナさんが窓際でガラス器具を洗ってた」
 緑川が少し先に立って歩き出したので、私には彼の顔が見えなかった。
「洗い桶、2つ並べて、じゃーじゃー水を出しながら手際よく、こう、野菜でも洗うように無造作に見えたんですわ。でもすごくきれいやっ
た。窓から光が差して、ハナさんの顔が白く照らされてて、ガラスも光ってて、こう、何か教会の中か何かみたいに厳かな感じがした。一目ぼれです」

 9年前というと、私が研究生をやってた時だ。でも全然、覚えていない。ガラス器具など、日常的に大量に洗っていたからだ。
「ガラスが風鈴みたいな音を立てて、ハナさんは低い声で何か歌ってはった。俺は、ハナさんが見たくて、だいぶ、ゼミに通いました」
 少し距離が開いて、緑川の声が聞こえにくくなった。私は小走りになって、追いついた。もしかして、彼は照れているのだろうか?
「でも1年生のガキには、よそのええ大学卒業して、さらに研究生やって、さらにその後5年も大学院やるつもりの人なんて、手が届かない気がしたんですわ。俺は大してやりたいことも見つからずに、たまたま入れる大学に来ただけやったから……何というかショックだったんです。いつのぞいても、ハナさんは何だか楽しそうに実験したり、コンピューターに向かったりしてはって……こっそり研究発表をのぞきに行ったこともあった。そんで……追いつきたくて、同じところに行きたくて……こうなったわけです」

 緑川がこちらを振り返った。1年生から? そして進学して? 博士課程に進んで、今は同僚の研究員としてここにいる。それが、私のため?
「あ、下心だけやないですよ。ハナさん見てて、俺の先輩の話とか聞いて、面白そうやなー、思て。普通の会社勤めより、よっぽど俺に向いてますやろ?」
 何と言っていいか、わからなかった。ずっと、私の片思いだと思っていたのに。そんなに前から? こんなに長い間?
「まあ、でも、勝手にやっただけですから、責任やら感じんといて下さい。実際、ゼミは性に合っておもしろかったし、今の仕事も気に入っとるんです。ハナさんのおかげやっちゅうてもいい。だから、責任取って、俺を引き受けようやら思わんでええんですよ」
 彼がにやっと笑った。まるで、私に責任を感じさせようとするように。

 どうしよう。足に力が入らない。地面が柔らかい。魔法で作った足が消えて、無防備な魚のしっぽに戻ってしまった。そして、油断すると海の泡になって溶けてしまいそうだ。
 これまで作ってきたペルソナがことごとく粉砕されてしまった。明日からどうしよう。職場でどんな顔をしたらいいんだろう。
 でも、緑川の隣でどんな顔をすればいいかは、もうわかった。彼の横では安心していいのだ。半分溶けかけた、魚のしっぽでも大丈夫。

 にせものの足なんか、もう要らない。自由に泳いでいけばいいのだ。2匹の魚のように。



スポンサーサイト
 
過去
手に汗握る展開に (nen)
2008-08-14 11:18:06
大人のほのぼの恋愛ストーリーではなかったのか?

一度手に入れてしまうと、失ったときのダメージは大きいぞ?!どうするぜ・・・ハナちん!後編が待てない


急転直下 (ハズキ)
2008-08-14 18:42:59
プリンセス・アニメは2時間で盛り上げて決着つけますから、あっという間に幸せになって、あっという間に不幸になるんですよ・・・ふふふ。続編、ブラックすぎてアップしていいのかどうか悩んでおります。

・・・これって18禁じゃないんだろうか?


座布団一枚っ (ケロンパ)
2008-08-19 22:29:49
ん~っ、冒頭から裸の二人ですか。あら、あら、びっくり。でも、運命が動く瞬間ってこんな風に意外と呆気ないのかもしれない。それがまた、リアルでいい。情事のあと、起こった出来事の重みを噛み締める。

すごくすごく甘いロマンス。一目惚れ、九年越しの恋。でもそこいら辺のお嬢ちゃんが書くような砂糖菓子の物語じゃない。リアル感がある。それが素敵。

>どうしよう。足に力が入らない。地面が柔らかい。魔法で作った足が消えて、無防備な魚のしっぽに戻ってしまった。そして、油断すると海の泡になって溶けてしまいそうだ。

ふ、ふふ。読ませてくださいますわね。さすがですわ。

>プリンセス・アニメは…

え?ぶらっく?でも、ハッピーエンドはお約束ですわね。途中の経過でいかにプリンセスちゃんを奈落の底に落とし、周りの涙を誘うか…そこがコツですわね。

18禁っ?全然OKですわ。アップ楽しみにしています~っ。次のタイトルも楽しみ。


ざ・・座布団もらっちゃった・・・ (ハヅキ)
2008-08-20 00:24:47
リアル感ありましたか?良かった・・・。
今回は梧香月さんのリクエストで、お題は「泡にならない人魚姫」でした。
危うく泡になりそうでしたけど・・・。

作者のねらいは”毎回、急転直下”。
次回はハッピー・エンド危うし!


まだ続くの? (nen)
2008-08-23 21:06:27
ありゃまぁ。やめときなさい、という意味ではなく、嬉しい驚き!!

恋心を凍結しておくと、解凍後も凍らしたときの鮮度に戻るものなのでしょうか?
ハナさんもなんだか随分おぼこい。年取らないのかな?

さすがプリンセス。あっぱれです


おぼこいハナちん (ハヅキ)
2008-08-25 12:21:58
・・・なぜなら本当にいもり男に会うまで、おぼこ(漢字変換してみてね)だったから。

だから、年の割りに反応がウブなんです。

なのに、あっという間にこまされちゃって・・・もう、知らない。










        
 
http://hadukipiper.blog42.fc2.com/tb.php/6-36888dc0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。