categoryアンチ・プリンセス・ファンタジー

金の鍵の部屋

trackback0  comment4
”青ひげは若い妻に城のすべての部屋の鍵を束にして手渡した。
『どの部屋もおまえの好きに使うがよい。ただしこの金色の鍵、この鍵の部屋だけは中を見てはいけないよ』”

 年度途中にこんな北の果ての試験場に笹原が異動してきた理由について、いろいろとウワサがささやかれなかったわけでもない。
 前任地は地方とはいえ、全国で10本の指に入る研究所だ。そこで室長まで務めた人がこんな小さな試験場で課長補佐とは明らかな降格だ。前任地で起こった忍傷沙汰についてはここまで聞き及んでいたので、イヤでも想像たくましくなる。

 だが当人は別に恥じる風もなく涼しげに微笑んで説明した。
「当節流行のウツ病ってやつです。叔父がこちらにいるもので、空気のきれいなところで転地療養するよう医者に勧められまして。私には大きな役職は荷が勝ちすぎたんでしょうねぇ」

 所長には”休日、夜間など時間外の勤務を制限する。通常勤務は差し支えない”という医師の診断書を見せて、「これまで盆も正月もありませんでしたから」と申し訳なさそうに笑った。
「それとワガママを言ってすみません。どんな小さなスペースでもかまいませんから、個室をいただけませんか。このウツ病というやつは人の話し声がすごく障るんです」
 そう言いながら、ちっとも抑うつ状態に見えない晴れやかな笑顔で笑った。
 
 直接の上司になる課長の高杉は、笹原の6つも下だったので、最初、正直やりにくいなあと閉口していた。ところが一緒に働き出してみると、笹原はでしゃばらず、よく気がつき、さりげなくフォローしてくれる非常に優秀な部下だとわかった。高杉は今回の異動に感謝した。実際、笹原ひとりのお陰で試験場全体の研究レベルが上がったと言っても過言ではない。

 笹原は自分のプライヴェートを一切話さないが、長い休みの度に必ず前任地に戻るので、あちらに家族を残して来たのだろうとウワサされた。気の毒に。部下の色恋沙汰のせいで妻子から離れてこんな僻地に。そのトラブルの処理で神経を壊したにちがいない。みな、そう同情していたのである。

 書庫の片隅が笹原の個室になった。窓の側に机をおいて、毎朝のミーティング以外はほとんどひとりでパソコンに向かっている。それでもこもりきりにならず、まめに自分の方から実験室や事務室に顔を出すので業務に支障はなかった。技官や助手への指示も的確で信頼が厚かった。


 ひとりきりの城で笹原はいつもの儀式に入る。

 ブックマークをつけず、メモリスティックのファイルに保存しておいたライブカメラを順番にチェックする。それからネットの地図サービスの航空写真を最大まで拡大して、いくつかの街路や建物の外観を観察する。
 個人の住宅についてはプライヴァシーの侵害かもしれないが、あの研究所は公の機関だ。問題ない。

 3日前、ようやくバス道路から研究所へ入っていく塙田サキの姿を見ることができた。ベトナムから帰ってきたらしい。室長代理の山下が同情して、できるだけ研究打ち合わせの連絡をハナさんにやらせて、緑川と会えるように計らってやっているそうだ。山下にしても事業所立ち上げの現地でのゴタゴタを緑川に任せられて助かったし、自分が行き来するのもやっかいなので万々歳なのである。

 笹原は2人に関する情報をかなり詳細に山下から引き出していた。
 山下が歌手の名前にあやかって、ヤマシタタツローというHNで食べ歩き記事ばかりの地味なブログをやっていることは、研究所のみんなが知っていた。知っていても、オフで知っている人間のネット活動に参加するのはお互い窮屈な気がして、何となくみんな遠慮していたのである。

 笹原はまず山下のブログと同じプロバイダにIDを登録して、サハリンというHNでネットから拾った子猫の写真を散りばめたブログを始めた。誰が見ても20~30代の女性というイメージの密度の薄い文章でマメに記事を更新している。そのブログのurlをつけて、山下にメッセージを送ったのだ。
”いつもブログを拝見しています。紹介されているお店をがみな近所なので参考にさせていただいています。プロフィールを見ると研究者とのこと、お仕事難しいのでしょうね。突然こんなメールを差し上げてすみません。実は友人のダンナさまも研究者で、仕事のために突然海外に赴任しなくてはならなくなったのです。友人はパニック気味でノイローゼのようになっています。そういう海外赴任は研究者にはよくあることなのでしょうか。友人の相談に乗ってアドヴァイスをあげたいのです。いろいろ教えていただけませんか”
 根が親切な山下は、若い女性が困っているとあってすぐに返事をくれた。それ以来、何度となくメールが行き交っている。メールには時々、直接お会いしてお話したいようなニュアンスを匂わせる。独身の山下はサハリンはブログの記事通り、可憐な女性だと期待しているらしい。

 塙田のパスワードは知っていたから、よっぽどメールをのぞいてみたいという誘惑にかられた。おそらくハナさんは気がつくまい。だが緑川は妙に目端の利く男だから、騒がれたらやっかいだ。あんな騒ぎの後だからあいつも神経質になっているだろう。距離を保っておくに限る。

 連休などに帰っていることは、所長や課長に頼んで秘密にしてもらっていた。
「本当は休日は療養に専念することになっているんです。今の僕は治療を受けるのも業務のうちですから」

 笹原はジャケットの胸ポケットから、柔らかい上等な革製のカードケースを取り出した。名刺が十数枚と一緒に不織布に包んだスライドが1枚入っている。リバーサル・フィルムで撮った塙田の写真だ。塙田はカメラが苦手らしく集合写真や行事のときのスナップでも、いつもこわばった顔で写っている。あるいはカメラが自分の方を向いていると、さりげなく身体の向きを変えてフレームァウトしていたりしてろくな写真がない。
 室長室で笹原と話しているときも、いつも礼儀正しく声を立てて笑ったりしない。だが何かのはずみにふわっと柔らかい笑顔をこぼすことがある。その顔を捕らえたくて本棚に小型カメラをしかけた。長いリューズで机の陰から撮影することができる。
 少しずつカメラの角度や位置を微調整し、フィルムを何本もムダにした。塙田がいつも立つスチール棚にワイン色のバティックを吊した。
 やっと笹原が満足した写真の中で、塙田はワイン色の織物の前でふと何かがひらめいたように目を見開き微笑んでいる。議論の内容に夢中になって緊張を忘れ、内側から光っている。35ミリのフィルムの中に捕らえられた笹原だけに見せた表情。

 ハナさんの美しさは俺だけが知ってる。これは俺だけのハナさんだ。

 なのに緑川がやってきて、何もかも壊してしまった。俺が触れずに大事にしてきたハナさんをさっさと奪って汚してしまった。そして当然のような顔をしてべったりはりついている。
 何も知らないくせに。おまえはハナさんのあのひっそり咲いた小さな花のような表情を知らない。ハナさんはだまされている。いかにおまえが汚い、女にだらしないヤツかハナさんは知らないんだ。

 緑川を罰してやるつもりだったのに、あの女はこともあろうにハナさんを刺して重傷を負わせた。嫉妬ならば浮気した男に復讐するのが筋というものだろう。だから頭の悪い女は困る。

 お陰で俺はこんな離れたところからハナさんを見守ることになってしまった。だがそんなことかまわない。かえって見ていることをハナさんに知られる心配が減って気楽になった。

 モニターの中のハナさんはスライドの中のハナさんと同じ。どれだけ熱心に見つめても安全だ。俺の手のひらの中に包めるハナさん。決して俺の幻想を破る言動もしない。


 ある週末、高杉が自宅に笹原を招いた。料理上手な気だてのいい妻。35年ローンで新築したこじんまりした家。5歳になる愛らしい娘。この幸せを孤独な生活を送る笹原に少し分けてやろうというのだろう。

 新鮮な海産物と野菜をふんだんに使った心尽くしの料理を味わった後、ホームシアターで子供のお遊戯会だの家族で行ったキャンプだのの退屈なビデオを眺めながら、コーヒーを飲んだ。
 
 やれやれ。後30分もつきあえば解放されるかな。自宅に帰ればハナさんと2人だけの時間だ。大量の動画や写真に囲まれて、今夜のベスト・スリーを選ぶ。日曜の夜にはその週の評価を集計する。最高点のスライドを胸ポケットに、動画をメモリスティックに入れて翌週1週間持ち歩く。時々気分を変えるために低い順位のスライドを持ち歩くこともあるが、一番気に入っているのはやはりワイン色の壁掛けの前で微笑む写真だ。一度、紙に焼き付けてみたが、スライドの肌の透明感は再現できず、結局そのプリントは捨ててしまった。

 コーヒーに添える果物を切りにダイニングに立った奥さんが声を上げた。
「きゃあああ、ジュリちゃん、何やってるの」
 続けて、子供の泣く声。

 高杉と笹原が席を立ちかけたとき、奥さんが青い顔でリビングに戻ってきた。
「すみません。笹原さん、あの……」

 その手にはカラフルな花や蝶々に飾られた笹原の名刺があった。
 ホームムービーに退屈していたのは笹原だけではなかったらしい。5歳児はむずかったりせず、大人しくクレヨンでお絵描きしていたのだ。笹原の名刺を画用紙代わりに。

「上着から勝手に引っ張りだしたみたいなんです。本当にすみません」
「いえいえ。名刺なんて、まだたくさんあります。幸い、自分のものしか入れてませんでしたし……」
 そこまで言いかけて、笹原の顔色がさあっと変わった。

 足早にダイニングに戻って、椅子にかけてあった上着の胸ポケットを改めた。名刺入れはあった。幼児はお行儀よく中身だけ取り出して、入れ物は元あったところにお片づけしたらしい。
 だが、スライドがない。

「写真を……ハナさんのスライドをどこにやったっ」

 ジュリちゃんは、このお客さんはにこにこはしているけれども本当は子供が大嫌いだと最初からわかっていた。だから用心深く距離を保っていたのだ。
 今、腕を掴まれて怒鳴られたので、もともとママにきれいにお絵描きしたカードを取り上げられてぐすぐすべそをかいていたのが、火がついたように泣き出した。

 もう、何を聞かれているかわからない。ただ怖ろしくて、掴まれた手が痛いだけだ。

 母親が間に入ってようやく聞き出した。
 ジュリちゃんは最近、お母さんとお部屋の模様替えをしたばかりだった。透明なフィルムにおとぎ話のお姫様がプリントしてあって、窓に貼るとステンドグラスのように透けてとてもきれいなのだ。シンデレラ、人魚姫、白雪姫・・・。7人の小人、カボチャの馬車、タコの魔女……。子供部屋の窓は大きかったので、ジュリちゃんはもっといっぱい貼りたかった。

 母親と笹原が子供部屋に駆け込んでみると、ジュリちゃんが椅子をおいて精一杯腕をのばしたのだろう。窓の低いところにスライド・フィルムがセロハン・テープで止めてあった。
 フィルムを固定してあった紙のスリーブが邪魔だったらしい。ジュリちゃんは一生懸命はがしたようだ。フィルムに無惨な折れ目や引っ張った跡が走っていた。

「ああああああああああああああああああああああ」

 笹原の微笑しか見たことのなかった高杉は心底驚いて、恐怖さえ覚えた。
 それはすっかりコントロールを失った叫び声だった。

 笹原は窓からスライド・フィルムを引きはがすと、上着をつかんで何のあいさつもなく、高杉の家から走り去った。気になって、高杉はその後何度も笹原のアパートに電話したが、返事がなかった。

 翌朝、試験場に笹原が現れなかったので、高杉は笹原が個室にしていた書庫をのぞいてみた。何も変化はなかった。机にディスクトップ・パソコンがひとつ。きちんと整理されたファイル。私物は一切置いてない。不安にかられた高杉は、昼休みに笹原のアパートに行ってみた。

 予感はあった。もぬけの殻だった。
 試験場の机と同じ。笹原がいた痕跡が一切ない。8畳の床にはゴミ箱ひとつ置いてなく、窓にはカーテンもない。そのまま不動産業者が次の客を案内できそうだ。

 それ以来、高杉は笹原の消息を聞いていない。前任地の所長は、笹原の両親に相談の上、警察に連絡した。
 だが誰も笹原を見つけられなかった。


 おそらく笹原は写真を撮りに行ったのだろう。
 彼だけに微笑みかける画像。



 スライドの中のハナさんは、決して笹原以外の男の手を取ったりしないし、笹原の顔を見て強ばった表情で問いただしたりしないはずだった。

 なのにその女は、半年ぶりに会ったというのに微笑みかけてくれない。会いたかったと言ってくれない。
 つかんだ俺の腕を振り払って、助けを呼ぼうとする。

 特に何かを考えて用意したわけではなかった。だが予感があったのだろう。笹原は上着の下からアウトドア用のナイフを取り出した。


 こんな女は、絶対に俺のハナさんなわけない。
 俺はこんな女、知らない。

 だから、こんな女はもう要らない。
 消えてしまえばいい。そうしたら俺はもう傷つかなくてすむのだ。


 笹原はナイフを肩から振り上げ、そして力いっぱい振り下ろした。




 
スポンサーサイト

〔テーマ:自作小説ジャンル:小説・文学

 
なんとまぁ
こういう人だったんですか。
キャラとして笹原さんわかり易すぎない?

「でもまぁ、こういう人もいるよねぇ」って
違和感なく思える現実が怖ろしい。
お話の中だけじゃないからね。
負けるな、サハリン
現実はもっと怖いようー。

”要らない”とか言って消去、とか削除、とか
抹消、とか言い出さないといいね。

それにしても…
ハナちんの周りにはストーカーしかいないのか?
緑川もストーカーだよね?
好きな相手だからいいものの、学生時代の友人が9年かけて同じ職場に追いかけてきたら、フツー怖いよね?
ラスト、ちょっと書き換えました
もともとこういう場面を想定して書いたのですが、さりげなさ過ぎたようで、実際に何かあったのかサハリンの頭の中だけのことなのかわかりにくかった。

この章はできるだけブラックにしたかったので、ちょっと状況説明を付け加えてみました。
最初、感じよく出てきたサハリンを徹底的に落としてみたかったので。









        
 
http://hadukipiper.blog42.fc2.com/tb.php/90-07b8d814